田中樹くんに謝りたい。

度が過ぎた愛しさをあやまろうと思う

冬が終わった

今年もまた、冬が終わった。

わたしはメンタルがバカなのもあって、あとは物理的な問題もあって、今年の帝劇は後半一か月しか通うことはできませんでした。ただ、ツイッターでも触れたけれど、基本的に「~~したかった」と後悔することが嫌いです。強がりだと言われても別に気にしないので構わないのですが、その時そうしなかったことには理由があって、それは何らかの手段を用いて実際「~~できたはず」のことだとしても、その時には、自分で選んできたからです。だからわたしは12月には帝劇に足を運びませんでした。

もちろんお金がないとかいろんな複合的な理由はあるけど、根本の自分の「決めたこと」なんてそう簡単に人に公開するものでもないからね。

 

ところで、最初からわかっていました。終わった時にわたしが持つ感想のこと。

これが去年。

これが今年。「~~したかった」と口に出すのは生産性がないです。言ってしまうのは仕方ないけど。

基本的には田中樹くんに感謝して生きています。感謝の謝は謝るだから、このブログタイトルも決してずれてはない。

 

樹くんは誤解されやすい人です。嘘です。

いろんなこと言われるのは仕方がない人です。だってそういう人だもん。

 

前回の記事で、樹くんの「しんどかったらやめます」がずっと腑に落ちないという話をしました。それを読んだ友人が、「樹くんはこの仕事好きなんだなと思った。しんどいと感じるくらいならやめるってことでしょ」って自然と言ったので、なんだか開けたような、それでもしっくりこないような不思議な気持ちになりました。

だって樹くんはしんどくなかったはずがないからです。皆さんもご存じの通りの外的要因。

それにすぐに「しんどい」って言うからです。これまたただいまタイムリーに皆さんご存じの通り。

樹くんのあの時のなんとなく言いたいことが言えないような、あまり感情のない表情。その次の瞬間にごまかすように笑った表情。

何を思って舞台に立って、何を思って仕事上で紡ぐ言葉を、選んでいるのかと急にふっと不安になります。

 

単に何も考えていない、不真面目だ、と批判することは楽なことです。それに相手はたかがアイドル、わたしたちとは何も関係のない世界で生きています。それがきっかけでファンを辞めようが、届きもしないエア説教をしようが、どうでもいいことです。だからこれをどなたかに読んでいただいたとしても、わたしの考えを強要したいわけでもないです。

でもわたしは、この冬も樹くんが毎日途切れさせることなく繋いだ舞台に立つ意思を、信じてみるしかないと思っているんです。樹くんにも「決めなければいけない時」がいくつもいくつもあったはずです。もしかしたら後悔しているかもしれない。それでも昨日も、今日も、明日も、舞台に立っていてくれたこと。本当に樹くんが「決めたこと」なんてわたしにはわからないから、その意思に、一際感謝するしかないんです。

 

ジャニーズアイランドでは、太鼓がとっても好きでした。

樹くんには不釣り合いなくらいの大きな太鼓を前に真剣な表情で前を見つめて、なんの大げさな動きもなく太鼓を叩く姿が、樹くんらしいと思ったからです。

バスケもとってもかっこよかった。見るからに自信を溢れさせて自分の技に臨む姿や、悔しさをあらわにする姿、仲間たちに必死で声をかける姿、仲間を励ましたり成功を讃えたりする姿。それもとても樹くんらしいです。去年のジャニワの時もそうだったけれど、樹くんに、ゴール横でボールを持って待機して、ミスの時にはタイミングを見てボールをパスする役割が与えられていることは、樹くんの運動神経や反射神経、それからわたしが大好きな、彼の勘がとても鋭いところが、その理由だと思っています。

でも、太鼓を叩く時の樹くんは、すごくシンプルです。何十人もいるジュニア、その半数はダンスで高い評価を受けている子だったり、魅力的な動きに定評があったりする子です。その隣で、ただ大きな太鼓を黙々と打つ樹くんは、そりゃきっと全体で見たら、物足りない子だったのかもしれません。それでもわたしは、ただただ根本のその動きを、忠実になぞろうとする樹くんが、冷たくて、脆そうで、好きでした。

 

そんなふうに、樹くんにはいろんな顔があります。人間なんだから当たり前なんだけど。

でも、きっと何も見せてくれてはいないんだ、と思う時もあります。アイドルがオタクに本当の自分なんて見せなくていいに決まってるんだけど。

 

でも、だからこそアイドルなのにそうとしか生きられない樹くんは、面白い子だなと思ってずっと見てしまいます。樹くんが真剣で一生懸命な時、どこに(皆さんが気になっている)綻びがあるのか、全くわからないです。優しい、こどもみたいな表情で仲間に接している時、どうして急な冷たさや、急な無関心と呼べるような綻びが現れるのか、全くわからないです。

 

樹くんの人間らしいところも含めて、わたしはとてもとても好きです。完璧じゃないところが、とてもとてもきれいです。綻びだらけで、すぐに崩れてしまうのに、自分自身はきっと、強く生きないといけないと決めているだろうところも、とてもとても魅力的です。

 

人間の歴史を学ぶということは、人間のかなしみを学ぶということです。(どこかで聞いた…) ひとつひとつ振り返ったら、後悔だって、「~~したかった」だって、たくさんあります。でもそれをしたくないから、強がりから、綻びが生まれてしまうのかもしれないです。でもそんなものと隣り合わせで、毎日同じことをくり返してそこに熱を見出さずに冷たく生きているおとこのこが、綺麗じゃないはずないと、わたしは思いながら、冬の帝国劇場に今年も通いました。

 

ありがとうございました。それは事実でした。ずっとわたしの大好きなおとこのこは、青年に近づきながら、綺麗なままです。